高橋五山 紙芝居の世界へようこそ 

大正大震災号

新聞・雑誌掲載

『復刻写真集 大正大震災号』2012年12月5日発売。
原本は1923(大正12)年10月14日発行。
 
被災の記憶 継いで

★1/11、東京新聞夕刊一面で紹介されました。
★1/13、中日新聞朝刊で紹介されました。
★雑誌『子どものしあわせ』草土文化/2013年2月号 

ちらしはこちら⇒⇒

絵雑誌「おとぎの世界」との興味深い関係

『ボッチャン』増刊「大正大震災号」は、高橋五山の研究・足跡調査をしていく中で掘り起こすことができた資料です。幼年絵雑誌『ボッチャン』は1918年9月に文光堂の社主、野口安治の編集発行で創刊されました。翌年、文光堂から童話雑誌『おとぎの世界』が創刊され、その表紙は初山滋が手がけ、同裏表紙には『ボッチャン』『ヂャウチャン』の広告が掲載されています。『おとぎの世界』は1922年に終刊となりましたが、『ボッチャン』『ヂャウチャン』は出版社が文光堂から一星社になり続刊されました。その際に編集を引き継いだのが高橋五山でした。
絵雑誌の背景を調べてみると出版社が変わっても廃刊にならずにリレーのように引き継いできた雑誌であることが確認できました。さらに戦火をくぐって長い年月を経て、巡ってきたものでした。

詳しくは本書をごらんください。

関東大震災

復刻写真集 大正大震災号 高橋五山編

(ISBN:978-4-9905516-4-3)

本書は今から約90年前に起きた関東大震災の写真を復刻したものです。1923(大正12)年9月1日土曜日、正午2分前。関東南部から静岡県にかけて襲ったM7.9の巨大地震は震災当時「大正大震災」と呼ばれていました。東京と横浜では大規模な火災が発生し10万人を超える人々が犠牲になり、特に人口が密集する浅草、日本橋、京橋、神田と地震の被害の受けやすい隅田川東岸の本所、深川では大災害をもたらしました。
東京では三日間にわたって燃え続け、日比谷、銀座、京橋、上野、浅草、両国など中心部から下町一帯を焼き尽くし、燃え広がる火災を逃れようと人々は上野公園、宮城前広場など広場を求めて避難しました。

この写真集には多くの出版社が集まる神田付近の写真が含まれています。神田は一面焼野原となってしまい多数の新聞社・出版社を焼失させました。震災当時は、まだラジオやテレビがなく新聞だけが時事の情報源でした。しかし東京の新聞・通信22社のうち、震災で焼け残ったのは「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)「報知新聞」「都新聞」「ジャパンタイムズ」の4社だけでした。電気も止まり、輪転機も動かず、活字は散乱・・・という状況の中、新聞社も出版社もなんとか被災の惨状を伝えようと発行に全力を挙げました。この大惨事を一刻も早く、全国の人々に伝えなくてはいけない。その思いは編集者・高橋五山も同様でした。

内容は各写真にタイトルがついた25枚の写真集を含む40ページで構成されています。復刻にあたり、資料を調べ写真にコメントを付記し、『東京市大震災区域図』と『東京日日新聞9月2日朝刊』を掲載しました。

<写真の内容>
1. 帝国ホテル附近より見たる丸の内の火災
2. 萬世橋駅廣瀬中佐銅像附近
3. さんざんになった日本橋通り
4. 呉服橋附近の焼跡
5. 吾妻橋サッポロビールの焼跡
6. 京橋より銀座大通の焼跡
7. 焼残った浅草仁王門
8. 上野山上より見たる廣小路より神田方面
9. へし折れた浅草十二階
10. 内幸町附近より見たる銀座方面の火災
11. 厩橋附近の焼跡
12. 神田方面より日本橋区浅草区方面の焼跡
13. 日本橋附近の焼跡
14. 上野公園の避難者分配品の行列
15. 焼けた新橋駅の残體
16. 燃焼中の有楽町駅附近
17・西郷銅像前の人尋ね札
18・日本橋附近にて自動車の焼失
19. 横浜市港町河岸の大亀裂
20. ぶち壊れた日比谷公園音楽堂
21. 横浜市伊勢佐木町大通の焼跡
22. 砲兵工廠の残體
23. 僅に正門を残して焼拂はれた大蔵省
24. 宮城前避難者の食糧分配
25. 神田神保町附近の焼跡

powered by Quick Homepage Maker 5.0
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional