◆紙芝居とペープサート(立絵)の関係

紙芝居とペープサート

 紙の切抜き人形を串にさして演じた立絵は、平絵と呼ばれる現在の紙芝居が登場したことで衰退し一旦姿を消しましたが、戦後にペープサートという名で新たに蘇りました。
そのペープサート誕生のいきさつは「永柴孝堂という人が、立絵の特色を生かして『日天さん月天さん』という作品を書いて演じてから、ペープサートというモダンな名前とともに、ペープサートは新しい教材、教具として教育現場に迎え入れられました」(望月新三郎『からくりぺーぷさーと』創和出版 1989年)と言われています。
『日天さん月天さん』はペープサートの源流であり、永柴孝堂氏(1908―1984)の代表作として知られています。しかし『日天さん月天さん』は永柴孝堂氏の原作ではなく、高橋五山の紙芝居『鬼ノツリハシ』(1943年)が原話ということが以下の文章から確認されました。

「原話は、戦争中全甲社で発行した紙芝居の『鬼の吊り橋』である。終戦直後、ペープサートを広く児童文化財として紹介するに当たって『日天月天』こそ最適と考えたので、原作者、高橋五山先生(今は故人になられた)のお許しを頂き、これをペープサートに改作して、現時に至ったという次第である。」(『人形画帖 第2集』永柴孝堂 1972年)

高橋五山は北欧民話「三匹のやぎ」のストーリー展開を参考にして紙芝居「鬼のつり橋」をつくり、紙芝居「鬼のつり橋」の呪文と変身シーン(日天さん月天さん)が、さらにペープサート「日天さん月天さん」に引き継がれたことがうかがえます

<作品の関係>
北欧民話「三匹のやぎ」→紙芝居「鬼のつり橋」(1943年)→ペープサート「日天さん月天さん」(1947年頃)


紙芝居は「立絵」を経て昭和5年(1930年)頃、現在の「平絵」と呼ばれる紙芝居になりました。それがまた戦後に紙芝居を原話として立絵(ペープサート)が生まれました。

参考:「高橋五山『鬼のツリハシ』について」『大阪国際児童文学振興財団研究紀要』27号、2014年3月